何を食したのか、何を鑑賞したのか、いくら使ったのか・・・ではなく、 何へ興味を示すのかが旅の醍醐味である
商店には見えない、営業中か否かさえも不明
多分、お店なのだろう、人はお店と判断できるからこそ入店できる、ところが、お店のようでお店ではない、何故、そのように感じるのだろうか、第一に店内が暗い、人気の無さ、商品の少なさ、ドアを開けた瞬間、店内から居間が見えたりする、でも、心配無用、店が営業中なのだから応対する人間は必ずいる、なんて考えていると店内の灯りがつく「いらっしゃい」とおばさんらしき人物の声が聞こえて、改めて「この店、営業中なんだ」と実感、ここまでの体験ですら普段のコンビニやスーパーの利用に慣れてしまっている人間には不思議な不思議な貴重な体験である
買える品物を探しましょう
そもそも、購入したい商品があるから入店した店ではない「ここは店なのか?、営業中なのか?」の思いで入店したのだ、そこで、私からの提案なのだが「購入したい商品が無いのではなく、購入できる商品を探しましょう」このような状況で私が購入する商品はナッツ類と決めている、小さなピーナッツが無難、かさばらず、腐らず、値段も手ごろ、対応してくれた方に話しかけるととても親切に話をしてくれます、私が一言でも相手は三言や四言も応対してくれます、その感謝の気持ちが募れば「ピーナッツ、もう一つ買います」となるのが人間関係の楽しさですね
誰が出てくるのかな
さきほど、お店の対応者がおばさんと記述しましたが、このようなお店は家族経営が一般的です、店番は対応可能な家族の誰かが出てくる、中学生や高校生と感じる若い人だったり、娘さんや若奥さんと感じる奇麗な女性が出てくることもあります、店内は猫がいたり、農業や漁業を感じさせる器具が置いてあったりと地元ならではの光景が広がっています、だから何と言われそうですが、少なくても私は楽しい、このような場所に居られることを、近くに海がある商店では夏になると店頭で海水浴商品を売っりたします、この時期は一年で一番の稼ぎ時なのでしょうね
おばあちゃんのしくじり
とても忘れられない思い出の一つ、それはおつりのお話、地方の小さなお店での出来事、私は商品を購入しお金を店主のおばあちゃんに渡しました、なんと、そのお金を左手に置いたまま、おつりを左手に重ねてしまったのです、そのまま、おつりとして私へ左手を差し出したおばあちゃん、思わず「間違ってますよ」と指摘しました、自分の左手を見ながら何が起きたのか、とっさに判断できなかったおばあちゃん・・・なのでした
私の旅は決して不正はしません、不正は旅全体を辛い思い出に変えてしまい、旅の思い出が汚れてしまうからです、それは対人間であっても変わりません

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