何を食したのか、何を鑑賞したのか、いくら使ったのか・・・ではなく、何へ興味を示すのかが旅の醍醐味である
悪戯書き犯人の犯行方法
散歩していると悪戯書きのなんと多いことか、地下通路、商店のシャッター、交通機関の壁、意味の分からない迷惑でしかない文字列や絵を何故に描くのか、自分が優秀なデザイナーとでも思っているのだろうか、少なくても悪戯書きをしている本人は現行犯では捕まりたくないと思っているはず、犯行時間は深夜なのか朝方なのか、しかも複数本のスプレー缶を大量に持ち歩いての堂々の犯行である
重罪とすべき理由
法律とは事前に準備し計画し実行するような犯罪は罪が重いと決まっている、反対に偶然とか予期できない犯罪は罪が軽いのだ、よく考えてみると悪戯書きは用意周到に行われている、壁があったから偶然持ち合わせていたスプレー缶で悪戯書きをしたなんてあり得ない、そもそも意味もなく数本のスプレー缶を持ち歩く行為が不自然だ、確信犯だろ、悪戯書きを重罪にしろ、子供の頃、コインやお札に悪戯をしたら罪が重いと子供同士で言い合っていた、悪戯書きも同じような意識を子供の時期から持たせる必要があるのではないだろうか
悪戯書きは同じ人間の犯行?
悪戯書きで利用されるフォントは何体なのだろうか?悪戯書きで使われる文字の書体はどれもこれも同じく見える、ずんぐりむっくりのぶくっとした書体だ、日本中の悪戯書きが一人の人間によって行われているようにも感じる、悪戯書きを教える学校でも存在するのだろうか?、悪戯書きを行った本人は自慢したい気持ちがあるのかもしれない、ならば私の意見を言おう「お前の作品は個性の無い、評価ゼロの作品だ」と、人々から愛されない作品は評価されないのだ
慣れてしまうと人間ではなくなる
ゴミが捨ててあるからゴミを捨てた、悪戯書きがあったから悪戯書きを加えた、どちらもやってはいけないのだが、私が最も許せないのは美しい状態への第一投と言うべきゴミ捨てや悪戯書きである、もはや人間失格である、商店街の方々が悪戯書きをされたシャッターを奇麗に元に戻すのは、悪戯書きの第一投を防ぐ意味がある「こんなにきれいなのに悪戯書きなんて出来ないよね」の気持ちが込められている、そこには悪戯書きをする瞬間に躊躇してほしいの強い願いが込められている

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