何を食したのか、何を鑑賞したのか、いくら使ったのか・・・ではなく、何へ興味を示すのかが旅の醍醐味である
優先席も専用席もなかった、けれど、思いは同じ
優先席や専用席はなかった、だが、混雑時に若い人が席を譲る姿は今以上に頻繁に起きていた、混雑時に小さな子供を抱えた母親が乗ってきたら、自分の席を子供に譲る、当時は乗車した全員がいかに混雑を円滑に乗り切るべきか、声なき無意識の一致団結的な心理が働いていたように感じる、優先席や専用席が無くても、健康な人は不自由な人に席を譲る、泣き止まない赤ちゃんがいると近くの女性が変顔(今風の言い方)を作って赤ちゃんをなだめようとしていました、若い母親が列車内で我が子にお乳をふくませている姿も当時は珍しくありませんでした、昔はこんな時代でしたね、ここまでの話、読んだ皆さんはどのように感じましたか
至難の技、国鉄は切符をどのように販売したのか
子供の頃、大人同士が切符をどのように購入したのかについて意見交換していた姿をよく覚えている、よく考えてほしい、ネット販売が無い時代である、今思うと列車の切符って、国鉄はどこでどうやって販売していたのだろうか、誰もが欲しがる年末年始の切符、GW中の切符、そこで、こんな話が飛び出す「札幌で取れなかった切符が、思い切って小樽まで行ったら取れたよ」と興奮しながら話す男性、切符の数は地域の人口の多さに比例して割り振っていたのだろうか、当時の国鉄の切符販売に関する苦労は想像するしかない、いかに有効にさばくべきかは至難の技だったに違いありません
昔の国鉄風景、ストライキは頻繁
JRがストライキをした・・・・記憶にありませんね、ですが、JRの前身である国鉄は頻繁にストライキが行われていました、今の若い人は知らない事実でしょうね、一番凄いストライキは一週間ぐらいやっていたはず、会社員も学生も大迷惑、そんな国鉄が「国鉄分割民営化、JRへ移行」は1987年4月1日に実施されました、この頃は毎日が国鉄の話題一色でした、身分が公務員から民間に移る現実を拒否したい国鉄関係者が数多くいたに違いありません、ですが、ストライキが無くなった国民には朗報だったのは間違いありません
国の金を失う
国鉄が民営化された要因は複数個存在したでしょう、一番大きな理由は毎年毎年蓄積される赤字額の大きさ、ある時のテレビ番組「国の金を失うと書いて国鉄」と述べた方がいました、国鉄と名称をつけた瞬間から未来が見えていたのかもしれませんね

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